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僕がPNPになった理由

タイトルの元ネタはKO○AMIの有名なあのゲーム!

皆様こんにちは、YASU@PNPです。

前回の投稿から結構空いてしまいました…
書きたいネタは色々あるのですが、経験年数からどうしても看護分野が多くなってしまう…

そんな中、今回は看護師でカメラマンという道を選んだ思いを書いてみたいと思います。

カメラが常にそばにあった学生時代

今日は、看護師カメラマンという道を選んだ事について語らせていただきます。
ページを見ていただいた方はご存知かと思いますが、私の父はカメラマンでした。仕事もプライベートも常にカメラを抱えて撮影していた父。そんな背中を見ながら育った私がカメラに興味を持つ、今思えばすごく自然な事なのかなと思っています。

ただ、思春期真っ只中の私はカメラがとても嫌いでした。
ちょうど高校生の頃、レンズ付きフィルム(使い捨てカメラ)という画期的なアイテム「写ルンです」が流行したのです。
1人1台写ルンですと言わんばかりにカバンに忍ばせた使い捨てカメラ、そして写真を撮りまくるJK(友人)達。

そんなブームの中、私は写ルンですの使用を禁じられていました。
理由… たぶん父が写ルンですを出したメーカーのライバル会社に勤めていたからなんじゃないかなと。

私は父に渡されたちょっと可愛めのカメラを持ち歩いていましたが、皆が写ルンですで写真を撮りまくっている中で突然登場する本格的なカメラ
友人たちがドン引きしていました。
まあ、このドン引き事件も「写メール」の登場で一気に収束したのですが😊

デジタルカメラに興味を示す

世間が携帯電話に搭載されたカメラでパシャパシャしていた頃、私はデジタルカメラ(コンデジ)に興味を持ち始めました。
当時のカメラはフィルム。現像するまでしっかり写っているか分からず、プリントした写真を捨てるのには度胸が入りました。
その点デジカメは、撮った写真がその場でわかり、何回も撮り直せる、そして消すのも簡単。
振られた彼女の写真は即消去していましたね〜〜〜(;ω;)

その後、デジタルカメラの性能はどんどん進化。看護師として働き、収入を得られるようになった私は新製品が出るたびに電気屋へ行き、衝動買いをしていたもんでした。

コンデジでは満足しなくなり、デジタル一眼レフに手を出し始めたのもこの辺りですね。
暇があれば相棒のカメラ持って出かけ、とにかく色々な物を撮影していました。
そんな私の相棒でしたが、仕事がどんどん忙しくなるにつれて撮る暇も少なくなり、部屋の隅で埃を被ることが増えてきてしまいました…。

休職とカメラ

残業、残業、人が辞め、さらに残業…
そんな激務が続いたある日、私は突然働く意味を見失ってしまい思考停止。そのまま休職することになりました。

働きたい、でもその気力が無い。

そんな状況で急遽知った看護師向けのイベント。
たまには外出しなくてはと自分を奮い立たせてイベントに行き、そこで出会ったのが、マイさんとあやかさん。そしてその後に開設するオンラインサロン「縁JOYナース部」に参加させてもらうことに。

活動の中で「写真撮って」と依頼を受け、人生初のポートレート撮影を実施。(それまでの被写体は仲間内や風景が主でした)
写真を撮る時、撮った写真を渡した時、またお願いと言われた時…
撮影で多くの笑顔を貰った私。
そうか、カメラでも人を笑顔にすることができるのか…

縁JOYナース部の公式カメラマンというありがたい肩書きをいただき、カメラの道を歩き始めます。

カメラマンとして動き始める

看護だけでなく、カメラでも人を笑顔にしたい!
そう思い立った私はすぐに行動しました。
父に事情を説明してカメラの技術を教えてもらい、あとは撮影・失敗・また撮影…
縁JOYナース部のメンバーが被写体として協力してくれて、ようやく仕事として撮影できるレベルまで技術を高められました。

人それぞれの笑顔を撮影したい。そして撮影した写真でまた笑顔にしたい。
そんな想いから、その人に寄り添い(Primary Nurse)、そして安心と笑顔を撮影する(Nurse Photographer)、合わせて略してPNP。

全力で皆様の笑顔を撮影していきます!

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